公共とコミュニティデザイン(あるいは、”あそび”についての語らい)

2021年3月13日に「公共とコミュニティデザイン(あるいは、”あそび”についての語らい)」というイベントを開催した。株式会社ここにある藤本遼くんと一緒に、彼が淡路島の五色町にもつ拠点(仮称:都志ハウス)での開催。朝11時から夜18時頃までの約7時間、「公共とコミュニティデザイン」についてただひたすらに語り尽くすというものだ。

都志ハウスは一軒家です

「公共」の芽生え-わたしの場合

「公共」とは

(1)社会全体に関すること。おおやけ。
(2)おおやけのものとして共有すること。

「公」とは

(1)政治や行政にたずさわる組織・機関。国・政府・地方公共団体など。古くは朝廷・幕府などをさす。
(2)個人ではなく,組織あるいは広く世間一般の人にかかわっていること。
(3)事柄が外部に表れ出ること。表ざた。表むき。

大辞林

わかるようでわからない辞書的な意味だが、少なくとも個人ではなく共同体や社会全体を指すということは理解できる。人は生まれながらにして地域や国という公共的な場に身を置いている。僕自身も幼いながらに「公共施設」といった言葉を使っていた記憶はある。しかし実際に「公共」を体感したのは大学生の時だっただろうと思う。

思えば小学校や中学校、部活といったものも小さな公共的な場だ。しかし自分のことばかり考えていた高校生くらいまでは全く意識することがなかった。それが大学生になり、様々なきっかけが重なってNPOで活動することになった。大学生の海外インターンシップを運営するこのNPOは、組織経営もまた大学生が自主的に行っている。70年近くの歴史と、世界100カ国以上、国内20大学以上のネットワークをもつ組織で、もちろん今も大学生たちが運営している。

組織の運営方針やルールについて、自分たちで考えて話し合い、自分たちで決めていく。その特徴の1つに、各大学支部の代表や日本全体の代表を選挙で決める、というものがある。代表に立候補する者は自分が考える組織の方向性をマニフェストとして文書にまとめる。

僕は大学2年生の冬頃に行われるこの選挙に立候補した。そこで初めて、自分一人で完結する「私」という領域から「公」の領域へと思考を拡張させることの難しさに直面した。

今回のイベントの様子。学生時代も車座で話す機会が多かった。

自分がつくりたい組織像というものを、他者に伝えるための言葉や絵、あるいは行動で表現して発信する。その表現は自分という「私」からにじみ出た、公共的な活動に向けたまなざしでもあった。伝わることもあれば、伝わらないこともあった。そのたびに頭をひねらせた。

そうして言葉を交わし、あるいは共に行動することを通じて、自分たちなりの小さな公共(=組織の運営方針やルール、および活動)をつくっていた。自分たちで決めて自分たちで形にしていく、そんな日々は悩ましい出来事もたくさんあったが、創造性に満ちていた。それが僕の、公共的な意識の芽生えだったと思う。

公共とコミュニティデザイン

大学卒業から時を経て、僕はコミュニティデザイナーという仕事に携わり始めた。日本では初めて「コミュニティデザイナー」と名乗って仕事を始めた山崎亮さんが率いる studio-L に加わり、住民参加による公園や図書館、地域計画などのデザイン(=コミュニティデザイン)に関わってきた。これらは多くの場合、各地の行政から依頼される仕事である。

今回はstudio-Lでの活動例を紹介しました

コミュニティデザイナーとしての僕の役割は、大学時代とは大きく異る。僕自身の考えを示すのではなく、地域の人たちが自分たちの考えを表現できる場をつくる。地域の人たちが新たな気づきを得ることができるよう、様々な形で学ぶ場を設け、立場を越えた話し合いができるように支援する。話し合うだけでなく、実際の活動に取り組むところまで一緒にやる。

そんな現場では、地域の人たちの「私」からにじみ出てくる公共的なものへのまなざしがたくさん発生する。自分がやってみたいこと、それを他の人たちとも一緒に取り組めるものとして形づくり、公園や図書館、あるいは地域といった公共的な場で展開される活動に発展させること。

これらの営みを通じてつくられる公共は、従来の日本のそれとは異なるプロセスだった。例えば公園は、行政がプロのデザイナーや施工会社と共に完成させて初めて、住民が立ち入ることができる場所だった。それが住民参加によって公園がつくられる時代となった。コミュニティデザインとは、プロが行うプロフェッショナル・デザインに対して、コミュニティが取り組むデザインを意味している。

僕が担当する泉佐野丘陵緑地。住民参加による10年以上のあゆみを冊子にまとめた。

そんな取り組みを支援する役割として僕は、8年ほど活動してきた。プロジェクトに参加する地域の人たち、そして依頼主である行政と共にデザインに取り組む中で、いつのまにか、様々な意見や課題を整理したり調整したりすることに意識が傾倒してしまうことがある。僕の場合、そんな時に置き去りにしがちなものがある。それが今回のイベントの副題である「あそび」だ。

あそび、とは

studio-Lの山崎亮さんもよく「楽しさなくして参加なし」と言っている。コミュニティデザインの現場に「楽しさ」がなければ、住民も「参加したい」という気持ちになれない。楽しい、とは何なのだろう。例えば、雰囲気づくりやデザインの力で演出できる「楽しさ」もある。一方で、自らが主体的に創造的に活動することで生み出される「楽しさ」もある。

僕の場合、他者が楽しくなることを意識するあまり、自分自身の「楽しさ」を置き去りにしているのかもしれない、と思い始めていた。それによる限界のような、越えられない壁のようなものを薄々と感じていた。しかしそれがどういうことなのか、つかめないでいた。

そんな時に、藤本遼くんが主催する「場づくりという冒険オンラインスクール」に出会った。2020年4月、Covid-19の猛威が本格化した頃である。遼くんは彼の地元である尼崎をおもな現場としながら、彼自身もまた主体となって関わる場づくりに関わっていた。

場づくり、という行為は似ているかもしれないが、そこに関わるスタンスに明らかな違いを感じた。彼自身の場づくりにも興味があり、このスクールに第1期生として参加した。

第3期以降はファシリテーターとして参加中。今は5期生を募集中(2021.4時点)

彼はスクールの参加者であった僕に「もう友達だよね」と声をかけてくれて、よく話すようになり、気づいたら今回のようなイベントを一緒に開いたり、尼崎で一緒に畑を始めることになっている。

今回の淡路島でのイベントで藤本遼くんは、「私とあなたの境界が溶かされていって、そこに公共性が生まれていくのではないか」と言っていた。なるほど、溶かす、とは「もう友達だよね」と何かを一緒にやり始めるような、そんなことなのだろうなと思う。

わったん, Naoki Watanabe on Twitter: “畑をやるで!ということで仲間と役所に相談に行き、JAに仲介してもらって出会った、こちらの土地。地権者さんとお話することもでき、具体的な準備へ。まだ除草シートに覆われてますが、土に触れるのが楽しみ。土地に宿る地権者さんたちの記憶と想いも引き継ぎながら、農を学びたいと思います。 pic.twitter.com/PMoLNjIfOq / Twitter”

畑をやるで!ということで仲間と役所に相談に行き、JAに仲介してもらって出会った、こちらの土地。地権者さんとお話することもでき、具体的な準備へ。まだ除草シートに覆われてますが、土に触れるのが楽しみ。土地に宿る地権者さんたちの記憶と想いも引き継ぎながら、農を学びたいと思います。 pic.twitter.com/PMoLNjIfOq

自分という「私」に閉じたものではなく公共的に開かれた活動として、そこに楽しさを生み出しながら取り組むこと。もちろん、他者を支援するという役割の中で技術的に工夫できることはたくさんあると思う。しかしそうではなく、自分自身もまた主体として活動し、僕自身が変わっていかないと、薄々と感じていた限界のようなものは越えられないと思い始めている。

そのようなことを「あそび」という言葉で表現している人がいる。「あそびの生まれる場所」という本を書いた西川正さんだ。

遊ぶとは、何か他の目的をもたず、そのこと自体をしたいからしている状態のことを指す

「あそびの生まれる場所」(西川正)

例えば尼崎の畑は、誰かから頼まれてやっている取り組みではない。自分自身が学びたくてやっている。そして畑を通じていろんな人たちと出会い、一緒に学びたいと思っている。大げさかもしれないが、学生時代の経験とコミュニティデザイナーとしての経験が凝縮されてにじみ出てきた、僕にとっての「あそび」だと感じている。

今回のイベントも、ある意味では「あそび」だった。話したいように話し、学びたいように学ぶ場を開いた。このような「あそび」によって自分自身がどう変わっていくのかはわからないが、そんなことは正直どうでもよく、「あそび」の今を楽しみたいと思う。

おわりに:参加者からの”お便り”

今回のイベントに参加してくれた人が、グラフィックレコーディングを共有してくれた。これもまた「私」からにじみ出た公共のようなものだと思った。

また、ブログに感想をまとめてくれた参加者もいる。これが非常に嬉しくて、僕は返事の手紙を書くような気持ちで今回のブログを書いた。

公共って何?|むらまつ まゆか|note

公共とコミュニティデザイン〜あるいはあそびについての語らい〜@淡路島主催:藤本遼さん(株式会社ここにある)と渡辺直樹さん(studio−L) …

「公共とは何か」と丸一日向き合う | Osmosis Life by Colorbath

どうも!「幸せならてをたたこう」に出てくる「幸せなら態度で示そうよ」というフレーズが、どうしてもやらせにしか感じられないと思っていたのですが、この曲の作詞背景には、どうやら反戦歌としてのメッセージが込められていたことを知って、過去の自分をビンタしてやりたいと思っているなばためです。( 作詞秘話についての記事) 先日、「 公共とコミュニティデザイン …

【レポ】公共とコミュニティデザイン@淡路島|ayaka sugimoto|note

先週の土曜日に、淡路島で半日の対話ワークショップに参加してきました! イベントタイトル: 公共とコミュニティデザイン あるいは、”あそび”についての語らい 話題提供(コーディネーター):株式会社ここにある  藤本遼さん、studio-L  渡辺直樹さん …

参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。