仕事のつくりかたを変えていく。ここにある合宿の備忘録。

4月某日、株式会社ここにある に関わるメンバーで1日合宿を開いた。
こっそりと、古民家にこもって8時間みっちりと。

昨年4月の「場づくりという冒険オンラインスクール」に参加してから、はや一年。主催していた藤本遼くんと一緒に活動する機会が増えた。今年もオンラインスクールの運営はもちろん、場の醸成について学び実践するオンラインコミュニティ「場の発酵研究所」、尼崎市内で農園を自主運営する取り組み「武庫之のうえん(むこののうえん)」など、協働する機会が多い。そんな中で誘ってもらったのが、今回の合宿だ。

10名ほどが集まったが、ほとんどの人が初対面ということで実はドキドキしていた。初対面もいれば顔見知りもいるという関係性の人たちが、ぞろぞろと集まって話し合いを始める瞬間。この10年ほど、こんな場面に何度立ち会ってきたことだろう。この心がざわざわする独特の緊張感にはなかなか慣れないが、好きでもある。

さて今回の合宿では個人的に得たいくつかの示唆があり、それは仮説として頭の片隅の置いておきたいと思ったものだったので、ブログに書き留めておきたい。

仕事のつくりかたを変えていくこと

仕事のつくりかたを変えていけないだろうか、といつも考えている。

近年の日本では起業家も少しずつ増え、Youtuberなどに代表されるようにお金を得る手段も増え、「好きなことを仕事に」なんてフレーズも囁かれるようになった。しかしやっていることは今も昔も変わらず「商品をつくって売買する」という資本主義の大原則であり、その枝葉の種類が少し増えた程度の話だと思っている。

資本主義への疑問

学生時代にマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(プロ倫)という本に出会い、資本主義は人間の思想の1つに過ぎないことを学んだ。しかし身の回りを見渡すと、見事に資本主義が生活を埋め尽くしている。まるで資本主義のために生きているかのように思えてしまう。

資本主義のために仕事をする人生でいいのだろうか。めんどくさい疑問を持ってしまったなと思うが、納得できないものはしょうがない。ウェーバーがプロ倫で残した未来への主張は、そのまま現代の僕に届いた。

精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう

そんな抽象的な問いはずっと頭の片隅にあり、それは会社を辞めてコミュニティデザイナーという仕事を始めてからも変わらない。相変わらずどうすればいいのかよくわからないけども、手がかりは少しずつ得ている。

関係性から仕事をつくる:ガウディとグエル

例えば、2018年に旅行したスペインのバルセロナ。バルセロナはガウディで飯を食っているといっても過言でないほどに、アントニ・ガウディが19世紀に残した建築を観光資源としている。そこには資本主義と公共性の葛藤を感じざるを得なかったが、一方で、ガウディの代表作であり未完成のサグラダ・ファミリアに入館料を支払う時はなんとなく、資本主義的なお金の使い方ではない気がした。

僕は何にお金を払ったのか。

サグラダ・ファミリアは1882年に着工され、2021年現在も未完成という巨大な聖堂である。高さ95mもある巨大建築に対してガウディは、少しずつ模型を作りながら工員たちに指示を出した。その工程は引き継がれつつ、近年は3Dプリンターなどの技術が加わり、工期は一気に縮まったと言われている。2026年完成予定だったがCovid-19の影響で延期される見込みだそうだ。

サグラダ・ファミリア(2018年当時に撮影)

資本主義の原則に沿って考えると、僕が支払った入館料は、ガウディを含むたくさんの労働力が作り出したサグラダ・ファミリアという商品への対価、ということになる。しかし少なくとも僕は、あの建築物に触れる体験を”商品”とは思っていなかった。偉大な建築家の意図が宿る作品の中で若い建築家が育っていくこと、といった、未来への何かにお金を払った。そんな気がしている。

ガウディを少し紐解くと、エウゼビ・グエルという人物が登場する。彼は大富豪であり、ガウディのパトロンだっと言われている。まだ実績の少なかったガウディの才能を発見し、私邸「グエル邸」などの数々の建築を発注した。

そしてガウディとグエルは夢を語り合う関係性となり、それを新しい住宅地として形にしようとした程である。(住宅地の構想は叶わなかったが、跡地は今も「グエル公園」となって残っている。ちなみにサグラダ・ファミリアはグエル氏ではなくカトリック系教会による依頼)

グエル公園(2018年当時に撮影)

僕はグエル氏のように大富豪ではないけども、サグラダ・ファミリアに入館料を払って立ち入ることにより、建築に宿るビジョンの一端に加わりたい気持ちがあったし、そこから何かを学び取りたい気持ちもあった。

そんなふうに、お互いに学び合い、ビジョンを語り合う関係性から仕事をつくっていくことはできないか。そしてその成果に対してお金を払う人もまた、その関係性に加わることができるようなもの。

公共をつくる過程において

経緯が長くなってしまったが、ここにある の合宿ではそんなことができそうな可能性を感じた。というのも今回の合宿には、全員が異なる所属や仕事を持っている人たちで集まっていた。

ここにある は株式会社という形をとっているが、様々な立場の人が集い、学び合い、所属にとらわれない関係性をつくっていく場でもあるのだろう、と思った。株式会社という”資本主義ど真ん中”の形をとりながらも、そうではない中身を模索するというのは、ある種の挑戦でもある。NPO法人でも協同組合でもない、なにかである。

この関係性から仕事をつくっていくことは、小さな社会実験になるかもしれない。例えばこの合宿に、行政や民間企業で公共的な事業を担当する人がいてもいいと思う。ただ機械的に発注して依頼先に任せるのではなく、学び合う関係性から、新しい公共をつくる仕事として一緒に取り組む。(この思考には少なくとも、僕が公共事業の領域でコミュニティデザインという仕事に携わってきたことが影響している)

それは現代において、ガウディとグエルのような作家とパトロンという関係性である必要はないだろう。一方で投資家と事業家が結託して行う、人々に享楽的にお金を使わせる”起業”でもない。どんな可能性があるだろうか。そんな思考を頭の片隅に置きながら、ここにある に関わりたいと思う。

合宿の会場は、岡山県にある「難波邸」でした